長渕剛ほど時代ごとに変化し、且つ己を貫いたミュージシャンはいたか。アルバム毎に何を歌いどう表現したかテキストマイニング。
長渕剛の現在(2022年)までのアルバム全曲をテキストマイニング
まず初めにタイトルにもあるように長渕剛ほど長い経歴の中で第一線で活躍し各年代で変化を遂げたミュージシャンを見たことがない。
1978年にデビューし2022年現在で44年間と活躍できている要因をテキストマイニングで探っていこうという趣旨で記事を書いていきます。
尚、年代別カテゴリー名は 長渕剛さんのモノマネをされるtakuya nagabuchiさんから引用させていただいています。
http://www.takuyanagabuchi.com/profile/
それでは、はりきってどうぞ!
フォーク・アイドル時代期
1978年、南からの追い風に乗りデビューしたフォーク青年はギター1本で年間90ヶ所以上の全国ツアーを展開していた。軽妙なトークとは裏腹にその透き通った歌声と圧倒的なフィンガリングギターテクニックで、ラブソングはもちろん時代の流れに“逆流”していく熱いフォークスピリッツで確実にプロフェッショナルの階段を登っていった。
長渕剛 23歳~28歳
・風は南から(1979年3月5日)
・逆流(1979年11月5日)
・乾杯(1980年9月5日)
・Bye Bye(1981年10月1日)
・時代は僕らに雨を降らしてる(1982年9月1日
フォーク・アイドル期のクラウドワードは爽やかさがにじみ出ている。
君と僕と今の長渕剛からは出しえない、極論するならば軟弱な歌詞にも受けて取れる単語がふんだんに出てくる。意外かもしれないがこのころは作詞に秋元康も参加している。
まだ強くメッセージを発していないこともこのクラウドワードから感じ取れフォーク・アイドル期ゆえ秋元康の参加もあったのかもしれない。後のロック期から始まる執着したしぶとさは現象淡く綴っている印象だ。
テキストマイニングでの分析が原則ではあるがアルバム『乾杯』のなかの「暗闇の中の言葉」を見れば今後フォーク期以降に表れる人の弱さや抗い、悔いが土の中深く身を潜めやがて成熟する蝉のごとく飛び立つ片鱗が窺がえる。
ロックバンド期
時代がニューミュージックへと変わっていく頃、彼の音楽スタイルもまた少しずつ変化を見せた。自身を「I'm super star!」と奮い立たせ、トレードマークの長い黒髪を切りバックバンドをつけ始め、フォークスタイルからロックスタイルへと移行していった。自分の弱さや対人問題にメスを入れる歌詞が多くなり、絞り出すかのような歌声とステージパフォーマンスで若者の心を掴んでいった。
長渕剛 29歳~34歳
・HEAVY GAUGE(1983年6月21日)
・HOLD YOUR LAST CHANCE(1984年8月18日)
・HUNGRY(1985年8月22日)
・STAY DREAM(1986年10月22日)
・ICENSE(1987年8月5日)
・昭和(1989年3月25日)
・JEEP(1990年8月25日)
ロックバンド期のワードクラウドでミュージシャンが変わったかのよう。
フォーク・アイドル期とは一変、爽やかさは微塵もなく第一印象では世間を嫌い立ち向かうドラマ「とんぼ」によって作り上げられた人物像が如実に表れている様が見て取れる。
赤い文字で「おう」と動詞で捉えられている単語は「しょっぱい三日月の夜」のうおうと繰り返し唸るように繰り返す負け犬の遠吠えだと思われる。
自分の弱さを負け犬の遠吠えになぞられた際たるものがこの曲だろう。
また自分の弱さや対人問題にメスを入れる歌詞が存分に反映されているワードと言えば「ちまう」がまさに自分の弱さにもメスをいれたそれではないか。対人問題は常にぶつかり合いで望んではいない結果が生まれてしまうを「ちまう」というフレーズがこの時期の曲に印象深く感じる。
ウィキペディアでの一文に目がむいた。映画「ウォータームーン」
ヤクザもので成功を収めていた長渕だが、この作品では修行僧を演じている。後に工藤監督と長渕との間で軋轢が生まれ、工藤は途中で監督を降板し、長渕が代わりに監督を務め撮影を続行したが、内容は破綻しており興行的にも失敗した。
映画本『底抜け超大作』では、「商業映画と呼ぶにはあまりにもお粗末な代物」、「意味不明な物語の中に、長渕の幼稚で自分勝手なメッセージと一般大衆を蔑んだ超人願望が延々と語られ、見る者をうんざりさせてくれる」、「彼(長渕)は映画がコミュニケーションと対話の芸術であることを知らなすぎた。この映画は、そうしたものを無視してたった一人で映画を作ろうとした愚かな記念碑として語り継がれるべきだろう」と否定的な評価を下している
この記事はあまりにも否定的ではあるがロックバンド期に象徴される自分の弱さや対人問題にメスを入れる歌詞を如実に表している。ひとつひとつを順に考察していこう。
・「商業映画と呼ぶにはあまりにもお粗末な代物」
興行的にも失敗し、商業映画としても、そうであったとしたからこそ、人間、長渕剛は露骨に自分の弱さや対人問題を歌詞に表現できたのではないのだろうか。
・「彼(長渕)は映画がコミュニケーションと対話の芸術であることを知らなすぎた。この映画は、そうしたものを無視してたった一人で映画を作ろうとした愚かな記念碑として語り継がれるべきだろう」
この記事においてのスタンスは否定的なものを極力排除し、見たものを見たままに俯瞰して語ろうと努めている。よって極めて否定的なこの一文すらそうせずに長渕剛を語りたい。
仮に映画がコミュニケーションと対話の芸術であったとしよう。音楽においてもその考え方は間違ってはいない。
ならば、長渕剛の音楽をこの評者の言葉を引用すれば、この結果も合点のいくものと捉えられる。
「長渕は音楽がコミュニケーションと対話の芸術であることを知っている。ただ長渕剛は、そうしたものを排除してたった一人で音楽を作ろうとしたかつてない音楽として語り継がれるべきだろう」
そうなのだ。音楽以外の活動に支障をきたしても本業である音楽ですべては昇華される。映画やドラマは長渕剛の活動においては無論重要なものであるが、それを収斂したものが音楽なのだ。
カリスマボイス期
原点のアコースティックギターに戻り、バンドとの掛け合いの中でフォークでもロックでもない“長渕剛”という新ジャンルを確立していった。生と死、人間をテーマに時には反社会的なメッセージを鋭く切り込み、自身のキャリアの中で最もしわがれた歌声とレトロダンディズムな男気で男性ファンを中心に魅了していった。またテレビドラマや映画で俳優としても活躍していた時期でもあり、その言動や一挙手一投足がカリスマ性に満ち溢れていた。
長渕剛 35歳~44歳
JAPAN(1991年12月14日)
Captain of the Ship(1993年11月1日)
家族(1996年1月1日)
ふざけんじゃねぇ(1997年9月3日)
SAMURAI(1998年10月14日)
長渕剛という新ジャンルを確立したカリスマボイス期
ロックバンド期終盤の映画「ウォータームーン」で修行僧を演じた長渕剛はロックバンド期からカリスマボイス期への移り変わりは過去を切り捨てた変化ではなく、より己を研ぎ澄ますための期間ではなかったか。
クラウドワードを見た第一印象は修行僧ではなくむしろ修行を終え老齢でなお、命みなぎり闊達に笑う和尚にさえ感じる。フォーク期でたとえた「暗闇の中の言葉」片鱗は鳥の姿に怯えず強い逆風にも狼狽えず高らかに舞いフォークでもロックでもない“長渕剛”という新ジャンルを確立する。
生涯現役期
生涯ステージに立ち続ける為にアスリート並みに肉体改造を施し、気・体力共に見事なまでに鍛えていった。仕上がったカラダをフルに活用するように削ぎ落とされたシンプルなメッセージと、さらに強化したステージパフォーマンスでふたたびロックスタイルへと変貌していく。2004年には桜島オールナイトライブ、2015年には富士山麓10万人オールナイトライブを成功させるなど挑戦し続ける不屈の精神に、老若男女問わず日本国民の“アニキ”となった。
長渕剛 45歳~65歳
・空(2001年6月27日)
・Keep On Fighting(2003年5月14日)
・Come on Stand up!(2007年5月16日)
・FRIENDS(2009年8月12日)
・TRY AGAIN(2010年11月10日)
・Stay Alive(2012年5月16日)
・BLACK TRAIN(2017年8月16日)
生涯現役期は削ぎ落とされたシンプルなメッセージ
歳を重ねたフレーズには感じられず、シンプルでたくましい様を歌詞は伝えている。
loser /stay alive/ go home/ fightingと英語がいままでの期間より多く表れている。
Loser自体の意味は敗者であるが歌詞を見れば負けても尚、歌い続けることを表明し戦い(fighting)生き続ける(stay alive)と宣言している。まさに生涯現役を歌詞で体現している。
そしてロックバンド期に現れた印象的であった「ちまう」も健在である。
フォーク・アイドル期の「暗闇の中の言葉」で土の中で身を潜めた幼虫はやがて未来を見越してサナギ(ロックバンド期)となりカリスマボイス期には成虫
命の限りにも気づかず(生涯現役期)に羽が折れることも厭わずに生涯舞い続けるだろう。
そうだ、長渕剛は変化したのではなく変体し続けていたのだ。
おしまい。