秋元康プロデュースおニャン子クラブとAKB48、時代別で変化はあるのか。テキストマイニング。
秋元康プロデュースのアイドルは昭和、平成、令和とどんな変化を遂げてきたかに興味が湧きその代表格であるおニャン子クラブとAKB48の分析に至った。そこでテキストマイニング。
秋元康作詞ではなくプロデュースとしたのは検索からランダムに抽出した曲に秋元康のクレジットがないかもしれないという保険をかけています。
※重要。ボクはアイドル全般を深くしりません。知らない目線から総括してみようという少し乱暴な分析ですが知らないからこそ見えてくるものがあるはずだという実験です。「なにも知らないで!」と気持ちを害するファンの方もおられるでしょうが、悪しからず。
・まずはランダムに上記のツールで抽出
・グループのソロの曲目は省く
・抽出曲の掲載は省きます。(手間がかかるため、個人的なことですみません)
・AKB48 146曲 活動期間:2005年~現在2022年
・おニャン子クラブ 42曲 活動期間:985年~1987年
それでははりきってどうぞ!
今現在は君でおよそ35前ではあなたとファンである対象者との距離が歴然と変わっている。
およそ35年前と今ではアイドルも含めて女性の立場が変化している。
おニャン子クラブ・AKB48のグループ名を伏せて見比べればおニャン子クラブの歌詞が演歌のように耐え忍ぶ女性のようにすら見えてしまう。
AKB48はファンを君と呼びおニャン子クラブはファンをあなたと呼ぶ
「会いに行けるアイドル」として生まれたAKB48は空想や仮想を超えて現実に出会えるからこそ「君と僕」が成立し、一方的に応援するしかなかった、またコンサートで出会えたとしても遠い存在のアイドルであるおニャン子クラブはファンを「あなた」と呼び空想の中で恋人として存在させなければ成立しないフィクションだったのではないか。
下記に以前の君とファンを名付ける現在のアイドル定義を記したけれど、いくら先進的に見えるアイドルでも決して時代の流れには逆らえず、むしろ時代を読めるアイドルこそがファンを大きく獲得できるアイドルではないだろうか。
そして秋元康は時代を読むことに長けていたからこそ、今なお最前線作詞や他多くの活動を成しえているのだろう。
3グループに共通しているものは僕・君
乃木坂46・櫻坂46・日向坂46それぞれに共通したものは君と僕は少女が男の子の立場で一人称の僕を歌うってどういうことだろう?
考察1 「僕」は男性ファンを物語に没入させるワード
芸術性を高めた歌詞ではなくてあくまで男性ファンに共感してもらうため(勝手に女性よりも男性ファンが圧倒的に多いと決めつけている)「僕」が男性ファンで「君」が女性アイドルと逆転させて歌詞の物語に没入してもらう仕掛けになっているんじゃないか。言うなればファン目線の女性アイドルとの仮想の世界。
考察2 「僕」は処女性を担保するためのワード
女性アイドルの処女性を僕で表現していないかな?アイドルっておトイレにも行かないって神話があるし、ファンはそれをウソでも信じたい!女性アイドルが僕を歌うときの僕って一直線で邪なこともなくただただ純粋、そう、その純粋性を表現するときに私では堅苦しくアタシではあばずれ感が出てしまう。だから僕ってワードは重要なんじゃないかな。
過去記事抜粋
1985年に男女雇用機会均等法が施行された時代におニャン子クラブは存在していた。
男女雇用機会均等法とは、職場における性別による差別を禁止し、男女とも平等に扱うことを定めた法律です。募集や採用、昇進などの面での男女の平等を定めているほか、セクシャルハラスメント防止のために、事業主に対して雇用の管理を義務づけているのです。
女性が差別を受けず、家庭と仕事を両立できるようにすることも目的の一つ。
女性の結婚や妊娠、出産などを理由にした不当な扱いも違反となります。スチュワーデスという呼称を客室乗務員に、看護婦を看護師に変更したのもこの法律によるものです。
まだネットもYouTubeも存在せずテレビが情報の最先端として君臨し、多くの男性を虜にし「セーラー服を脱がさないで」と当時ではセンセーショナルな歌を歌ったたアイドルでさえも今の時代から俯瞰すればまだまだ男女が対等な立場で扱われていなかったこと如実に表しているように思える。
おニャン子クラブとAKB48の単語分類の差異
ふたつのグループに共通すうフレーズには特に目を引くものはなくどちらかと言えばどんなアイドルにでもでてくるような凡庸なものだ。
それに比べておニャン子クラブの歌詞にしか出てこないフレーズは興味深いものがふんだんにある。「おやすみ・darlin・浮気者」がそれである。
このフレーズだけ切り取って見ればまるで結婚したての若い男女のようだ。
現代のアイドルは君と僕が恋人もしくは恋人未満友達以上の存在が物語の中で最良であり淡泊なもので35年前のアイドルに対するファンの空想の最上級のゴールが結婚であると捉えられる。
やはりアイドルは時代の写し鏡なのだ。
感情分析において過去・現在で歌詞の違いはあるか。
ここで注目すべき点は分析に使用したタイトル数、AKB48は146曲、おニャン子クラブ 42曲である。
曲目の三分の一にも満たないおニャン子クラブがポジティブやネガティブに限らず、形容詞(緑の円で表示)がAKB48と比べて断然多い。
このことは何を表しているのだろう。
形容詞とは、物事の状態や性質が「どのようであるか」を表現する言葉です。 現代日本語における形容詞は、例えば「かわいい」「美しい」のように終止形が「-い」で終わる語形であり、もっぱら「述語」または「連体修飾語」として用いられます。
上記の意味を捉えて重ね合わせれば
どのような性質や状態であるか過去のアイドルの歌詞は表現力、もしくは語彙力が豊かで現在のアイドルのそれは乏しい。
この違いはメディアによって生まれたのではないだろうか。
おニャン子クラブの時代(過去)一方向
テレビが主流であり続いてラジオ、雑誌とどれも一方向の媒体で応答として電話、もしくはハガキしかなくコミュニケーションに時間を要した。時間がかかるとなれば昔の遠距離恋愛と同じくハガキもしくは便せんに多く思いのたけを文字にしたためた。電話も今とは違い固定電話のみで無料通話など存在せず、短い時間にたくさんの想いを言葉に詰めた。
時代に倣うアイドルの世界も同じく歌詞に思いのたけを多く込めた結果が形容詞の多さに表れたのだろう。
ちなみにポケベルで「114106」で愛してると伝えたのはまだ少し後の90年代半ば。
AKB48の時代(現在)双方向
過去を翻すかの如く現代は形容詞が少なくとも相手に表層的であれ感情を伝えることが出来る。
それが双方向性を可能にしたネットの時代である。LINEのやり取りでは言葉が解体され一文字で対話が成立する時代。
動画配信で画面上にたくさんの文字が横へ流れて消滅していく時代。
情報の発信はメディアからではなく世間からになった時代に歌詞で多くの形容詞を表現することが無意味な時代。
言葉だけではなくなりダンスも形容詞になりえる時代。愛してる、好き、かわいい、カッコいいを歌う者以外がダンスで表現が可能になり、おのずと歌い手の形容詞が少なくなったことが考えられる。
総評:おニャン子クラブとAKB48
どんな世界であれ成功するもののなかには時代に逆行し波風を立てるものに新たな時代をつくるものもあるだろう。
アイドルとは先鋭的で流行りを先取りしている存在として捉えていた。
そういうこともあるだろうが今回分析してみた結果、長く存在するアイドルは時代の風を読みその潮流に乗る。
それが一時代を築くアイドルの他ならない。
秋元康は偉大である!
おしまい。