ハロプロ モーニング娘vsAKB48 秋元康とつんく 二人は同時代アイドルをどうを表現したのか。テキストマイニングで分析だ!
※重要。ボクはAKB48や坂道シリーズのことを深くしりません。知らない目線から総括してみようという少し乱暴な分析ですが知らないからこそ見えてくるものがあるはずだという実験です。「なにも知らないで!」と気持ちを害するファンの方もおられるでしょうが、悪しからず。
以前、秋元康さんプロデュースアイドルで坂道シリーズ(乃木坂46・櫻坂46・日向坂46)の違いをテキストマイニングで比較しクールでかっこいいアイドルでおなじみの櫻坂46でさえ他二グループと歌詞だけで言えば大きな特色がみられなかった。
それではとAKB48との歌詞の比較(テキストマイニング)では変化を感じ、最後に秋元康さんプロデュース新旧アイドル(AKB48vsおニャン子クラブ)を比較することで坂道シリーズやAKB48では「僕と君」を多用し、年代を遡りおニャン子クラブになれば、「あなた」が多く使われ、他のネットの情報で秋元康さんは僕や君を多用しているとありテキストマイニングの実力恐ろしや・・・と感じた次第。
それならばと同時代に活躍するモーニング娘。vsAKB48では歌詞に大きな差が出るに違いない、また秋元康さんとつんくさんの作詞法についても比較が楽しいものになるんじゃないかと憶測だけでテキストマイニング!
さあ、スタートだ!
って思っていい方法を探り当てたよ。それは『テキストマイニング』
テキストマイニング 何に使う?
テキストマイニングの活用シーン
商品開発やサービス改善で差別化 ...
CX(顧客体験)の向上 ...
データ資産をマーケティングに活用 ...
AI-VOC分析サービス ...
AIテキスト分類サービス
チンプンカンプン(汗)なんかむずかしそうだけど・・大量の文章データ(テキストデータ)から、有益な情報を取り出すことを総称してテキストマイニングと呼ぶそうだよ。マイニングって採掘って意味があるよ。
それじゃあ、順を追って説明するね。
分析方法
より多くの歌詞を集めるために簡単に歌詞をテキスト化できるLycs Masterというツールを使う。
それからAIテキストマイニングbyユーザーローカルという無料でテキストを分析できるツールで単語の頻出頻度や感情分析を行うよ。
モーニング娘。とAKB48の歌詞から名詞のみを抜粋
まず最初に気づいたのはどちらもyeahやwowの元気よさと英語の多用。
モーニング娘。とAKB48の一人称も違い
秋元康さんは一人称が「君と僕」がAKBや坂道シリーズによく見られるが(同じ秋元康さんプロデュースおニャン子クラブの場合は「あなた」)つんくさんの場合の一人称は「あなた」となる。
AKB48(秋元康)はファンとの共感やアイドルとの疑似体験を演出させるためにモーニング娘。(つんく)はアイドル自身の個性を発信させるために・・・・なんて勝手な決めつけをご了承ください。
モーニング娘。とAKB48の歌詞から動詞のみを抜粋
モーニング娘。の歌詞はAKB48に比べて「しよう」「愛す」「抱きしめる」が積極的な女の子の印象を受ける。
AKB48坂道シリーズとの比較では比較的ポジティブな印象を受けたがモーニング娘。を前にすると「微笑む」「あきらめる」「振り向く」が心が揺さぶられるけれど行動が共わない恋する乙女のようなすべてはあなた次第という印象を受ける。
ふと気になった、この違いは両プロデューサーの秋元康さん、つんくさんの好みが出ているのだろうか。
それともアイドル自身を輝かせるためのものか、はたまたファンを獲得するための作詞法なのか?
ファンを獲得するために作詞を日和っってるやついる!いねーよな!
モーニング娘。とAKB48の歌詞から形容詞のみを抜粋
モーニング娘。とAKB48の歌詞の共通点や違い
両方に共通する言葉は動詞が多く、どこか希望を感じる。
両者の歌詞にだけ出てくる項目を比較するとモーニング娘。の方が圧倒的に言葉が多く、どのような状態であるかを示す形容詞が多くみられる。リスナーに対してのアピールする行動、発信がAKB48に比べて多く歌詞全体をまとめると明るくて元気で口数の多いクラスのかわいい人気者のようなイメージが浮き彫りになる。
AKB48はというと口数の少ない物静かな女の子というイメージ、クラスで3番目にかわいい女の子のイメージとはこういうことなんだろうか・・・
感情の比較については同じような形状で怒りが両方突出している。このツールの特性か、他の歌詞についても特に歌詞を一目見て分かるような怒りがあるわけではないけどこういう傾向がある。長渕剛のような表現者なら何となく合点がいくんだけど・・・
というわけで感情はスルーで。
ハッピーが付く曲を検索してもネガティブがポジティブを上回る
どの歌詞に置いてもネガティブがポジティブを上回る。試しにはハッピーをキーワードにランダムに検索した曲(282曲)から抽出したグラフがこちら↓
ほらね、いくらハッピーの頻出頻度が高くてもネガティブがポジティブを上回り、感情においては怒りが突出した形になる。
ただ、AKB48やモーニング娘。の20%を超えるネガティブと比べると14.9%のハッピーは断然低い。よって単一で考えるんじゃなくて相対することでハッピーの幸福度は実証されたってことだね。100%ポジティブなんかないってことだね
モーニング娘。とAKB48のポジネガ
ポジティブに関してはモーニング娘。がAKB48を1.5倍程度上回り抜粋した動詞の印象を裏付ける。
モーニング娘。とAKB48のテキストマイニングでの総評
同じアイドルでも歌詞だけで見比べてみても、当たり前だけどちがうもんだなあもんだなあと再確認する。
以前のテキストマイニングの結果でAKB48は坂道シリーズに比べて元気いっぱいな女の子と認識していたけど、モーニング娘。は、より一層元気ではっちゃけた女の子たちのイメージを抱きました。
おしまい。
東京vs大阪 ランダムに検索した歌詞でテキストマイニング。県民性はどう表れる
テキストマイニングで歌手別歌詞を集積して分析をしていると、ふと曲のタイトルにつく地名で歌詞ならではの県民性が抽出されるのではないかと興味が湧き、それならばと永遠のライバル東京vs大阪(大阪が一方的にライバル視していることは否めない)
でテキストマイニングをやってみようというおはなし。
分析方法
より多くの歌詞を集めるために簡単に歌詞をテキスト化できるLycs Masterというツールを使い曲のタイトルに東京・大阪と入れランダムにでた検索結果を集積し分析する。歌詞の抽出は「歌GET」から
それからAIテキストマイニングbyユーザーローカルという無料でテキストを分析できるツールで単語の頻出頻度や感情分析を行う。
歌詞の世界におけるケンミンショーのはじまり、はじまり
東京で検索されたタイトル
大阪で検索されたタイトル
東京の曲目は74曲
抽出されたタイトルは年代も性別もジャンルも様々、矢沢永吉にやしきたかじん、石川さゆりに宇多田ヒカルとこれだけ違う曲目から何があぶりだされるのか、楽しみだね。
東京でイメージされるものはなんだろう?
大阪の曲目は69曲
こちらも負けず劣らずウルフルズ、関ジャニ∞、和田アキ子、青江三奈と多岐にわたるタイトルです。
元森喜朗86代内閣総理大臣は首相就任前に大阪人の人間性について
「言葉は悪いが、大阪はたんつぼだ」
と発言されたことがあります。はたしてその言葉が歌詞で実証されるのか、
さあさ、お立ち会い。ご用とお急ぎでない方は ゆっくりと聞いておいで。
東京と大阪の単語の頻出頻度を見比べてみる
東京・大阪どちらにも共通する単語に演歌や歌謡曲が漂っている
当然の結果ではあったけどお互いにいちばんに多い単語は共に大阪・東京なんだなあ。東京も大阪もランダムに検索した結果、タイトルに地名が付くジャンルは歌謡曲、もしくは演歌が多いんだろうことにあらためて気づく。あなた・雨・夜・男女、そして極めつけには逢う
「大人の男女が雨の夜に街で逢い契りを交わす」一節が簡単に想像できてしまう。
J-POPやロックではありきたりな歌詞は好まれないが歌謡曲や演歌は斬新を嫌い月並みを好む。今やCDも衰退しサブスクに移行している時代にサービスエリアの片隅に演歌や歌謡曲のみ店頭にあることに合点がいく。若い年ごろには変化を必要とするが歳を重ねればそれを拒みありきたりに味わいを感じる。
じゃあ、東京と大阪の歌詞の違いはどこにあるんだろう?
大阪から見てみると関西弁の「あかん」や「好きやねん」はわかりやすいところ、目につくのは、憎い、憎らしい、そして東京に比べて形容詞が多いところ(緑)は表現力の豊かな大阪のひとをあらわしているんだろうか。
東京はというと形容詞が少ない分動詞(赤)が多い。
今、比較して気づいたことに大阪のひとのイメージは口は達者だけれど本当の想いは口にすることをためらう純情な者としての表現が数たくさんの形容詞が使われているように思う。
森喜朗氏の「たんつぼ」発言には程遠く儚く情緒的だね。
そして大阪に関して言えば大阪とタイトル付ける時点、スマートなものを望まず、コテコテだったり、人情的な歌詞にするワードかもしれない。
その点、東京は愛す、燃える、咲く、輝く、踊ると情熱的で直接的に感じる。
そしてトーキョー・ジプシー・ナイト・パーラーとカタカナが多く少し古びた都会的なイメージを感じた。
このことからも今回のテキストマイニングでの結果は東京・大阪共に歌謡曲・演歌のジャンルが多く、それらは郷愁的でムーディーで男女のなやましさを表現しているとひとつひとうを検証することなくひとまとめにして乱暴に論じてみた。
おしまい。
長渕剛ほど時代ごとに変化し、且つ己を貫いたミュージシャンはいたか。アルバム毎に何を歌いどう表現したかテキストマイニング。
長渕剛の現在(2022年)までのアルバム全曲をテキストマイニング
まず初めにタイトルにもあるように長渕剛ほど長い経歴の中で第一線で活躍し各年代で変化を遂げたミュージシャンを見たことがない。
1978年にデビューし2022年現在で44年間と活躍できている要因をテキストマイニングで探っていこうという趣旨で記事を書いていきます。
尚、年代別カテゴリー名は 長渕剛さんのモノマネをされるtakuya nagabuchiさんから引用させていただいています。
http://www.takuyanagabuchi.com/profile/
それでは、はりきってどうぞ!
フォーク・アイドル時代期
1978年、南からの追い風に乗りデビューしたフォーク青年はギター1本で年間90ヶ所以上の全国ツアーを展開していた。軽妙なトークとは裏腹にその透き通った歌声と圧倒的なフィンガリングギターテクニックで、ラブソングはもちろん時代の流れに“逆流”していく熱いフォークスピリッツで確実にプロフェッショナルの階段を登っていった。
長渕剛 23歳~28歳
・風は南から(1979年3月5日)
・逆流(1979年11月5日)
・乾杯(1980年9月5日)
・Bye Bye(1981年10月1日)
・時代は僕らに雨を降らしてる(1982年9月1日
フォーク・アイドル期のクラウドワードは爽やかさがにじみ出ている。
君と僕と今の長渕剛からは出しえない、極論するならば軟弱な歌詞にも受けて取れる単語がふんだんに出てくる。意外かもしれないがこのころは作詞に秋元康も参加している。
まだ強くメッセージを発していないこともこのクラウドワードから感じ取れフォーク・アイドル期ゆえ秋元康の参加もあったのかもしれない。後のロック期から始まる執着したしぶとさは現象淡く綴っている印象だ。
テキストマイニングでの分析が原則ではあるがアルバム『乾杯』のなかの「暗闇の中の言葉」を見れば今後フォーク期以降に表れる人の弱さや抗い、悔いが土の中深く身を潜めやがて成熟する蝉のごとく飛び立つ片鱗が窺がえる。
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秋元康プロデュースおニャン子クラブとAKB48、時代別で変化はあるのか。テキストマイニング。
秋元康プロデュースのアイドルは昭和、平成、令和とどんな変化を遂げてきたかに興味が湧きその代表格であるおニャン子クラブとAKB48の分析に至った。そこでテキストマイニング。
秋元康作詞ではなくプロデュースとしたのは検索からランダムに抽出した曲に秋元康のクレジットがないかもしれないという保険をかけています。
※重要。ボクはアイドル全般を深くしりません。知らない目線から総括してみようという少し乱暴な分析ですが知らないからこそ見えてくるものがあるはずだという実験です。「なにも知らないで!」と気持ちを害するファンの方もおられるでしょうが、悪しからず。
・まずはランダムに上記のツールで抽出
・グループのソロの曲目は省く
・抽出曲の掲載は省きます。(手間がかかるため、個人的なことですみません)
・AKB48 146曲 活動期間:2005年~現在2022年
・おニャン子クラブ 42曲 活動期間:985年~1987年
それでははりきってどうぞ!
今現在は君でおよそ35前ではあなたとファンである対象者との距離が歴然と変わっている。
およそ35年前と今ではアイドルも含めて女性の立場が変化している。
おニャン子クラブ・AKB48のグループ名を伏せて見比べればおニャン子クラブの歌詞が演歌のように耐え忍ぶ女性のようにすら見えてしまう。
AKB48はファンを君と呼びおニャン子クラブはファンをあなたと呼ぶ
「会いに行けるアイドル」として生まれたAKB48は空想や仮想を超えて現実に出会えるからこそ「君と僕」が成立し、一方的に応援するしかなかった、またコンサートで出会えたとしても遠い存在のアイドルであるおニャン子クラブはファンを「あなた」と呼び空想の中で恋人として存在させなければ成立しないフィクションだったのではないか。
下記に以前の君とファンを名付ける現在のアイドル定義を記したけれど、いくら先進的に見えるアイドルでも決して時代の流れには逆らえず、むしろ時代を読めるアイドルこそがファンを大きく獲得できるアイドルではないだろうか。
そして秋元康は時代を読むことに長けていたからこそ、今なお最前線作詞や他多くの活動を成しえているのだろう。
3グループに共通しているものは僕・君
乃木坂46・櫻坂46・日向坂46それぞれに共通したものは君と僕は少女が男の子の立場で一人称の僕を歌うってどういうことだろう?
考察1 「僕」は男性ファンを物語に没入させるワード
芸術性を高めた歌詞ではなくてあくまで男性ファンに共感してもらうため(勝手に女性よりも男性ファンが圧倒的に多いと決めつけている)「僕」が男性ファンで「君」が女性アイドルと逆転させて歌詞の物語に没入してもらう仕掛けになっているんじゃないか。言うなればファン目線の女性アイドルとの仮想の世界。
考察2 「僕」は処女性を担保するためのワード
女性アイドルの処女性を僕で表現していないかな?アイドルっておトイレにも行かないって神話があるし、ファンはそれをウソでも信じたい!女性アイドルが僕を歌うときの僕って一直線で邪なこともなくただただ純粋、そう、その純粋性を表現するときに私では堅苦しくアタシではあばずれ感が出てしまう。だから僕ってワードは重要なんじゃないかな。
過去記事抜粋
1985年に男女雇用機会均等法が施行された時代におニャン子クラブは存在していた。
男女雇用機会均等法とは、職場における性別による差別を禁止し、男女とも平等に扱うことを定めた法律です。募集や採用、昇進などの面での男女の平等を定めているほか、セクシャルハラスメント防止のために、事業主に対して雇用の管理を義務づけているのです。
女性が差別を受けず、家庭と仕事を両立できるようにすることも目的の一つ。
女性の結婚や妊娠、出産などを理由にした不当な扱いも違反となります。スチュワーデスという呼称を客室乗務員に、看護婦を看護師に変更したのもこの法律によるものです。
まだネットもYouTubeも存在せずテレビが情報の最先端として君臨し、多くの男性を虜にし「セーラー服を脱がさないで」と当時ではセンセーショナルな歌を歌ったたアイドルでさえも今の時代から俯瞰すればまだまだ男女が対等な立場で扱われていなかったこと如実に表しているように思える。
おニャン子クラブとAKB48の単語分類の差異
ふたつのグループに共通すうフレーズには特に目を引くものはなくどちらかと言えばどんなアイドルにでもでてくるような凡庸なものだ。
それに比べておニャン子クラブの歌詞にしか出てこないフレーズは興味深いものがふんだんにある。「おやすみ・darlin・浮気者」がそれである。
このフレーズだけ切り取って見ればまるで結婚したての若い男女のようだ。
現代のアイドルは君と僕が恋人もしくは恋人未満友達以上の存在が物語の中で最良であり淡泊なもので35年前のアイドルに対するファンの空想の最上級のゴールが結婚であると捉えられる。
やはりアイドルは時代の写し鏡なのだ。
感情分析において過去・現在で歌詞の違いはあるか。
ここで注目すべき点は分析に使用したタイトル数、AKB48は146曲、おニャン子クラブ 42曲である。
曲目の三分の一にも満たないおニャン子クラブがポジティブやネガティブに限らず、形容詞(緑の円で表示)がAKB48と比べて断然多い。
このことは何を表しているのだろう。
形容詞とは、物事の状態や性質が「どのようであるか」を表現する言葉です。 現代日本語における形容詞は、例えば「かわいい」「美しい」のように終止形が「-い」で終わる語形であり、もっぱら「述語」または「連体修飾語」として用いられます。
上記の意味を捉えて重ね合わせれば
どのような性質や状態であるか過去のアイドルの歌詞は表現力、もしくは語彙力が豊かで現在のアイドルのそれは乏しい。
この違いはメディアによって生まれたのではないだろうか。
おニャン子クラブの時代(過去)一方向
テレビが主流であり続いてラジオ、雑誌とどれも一方向の媒体で応答として電話、もしくはハガキしかなくコミュニケーションに時間を要した。時間がかかるとなれば昔の遠距離恋愛と同じくハガキもしくは便せんに多く思いのたけを文字にしたためた。電話も今とは違い固定電話のみで無料通話など存在せず、短い時間にたくさんの想いを言葉に詰めた。
時代に倣うアイドルの世界も同じく歌詞に思いのたけを多く込めた結果が形容詞の多さに表れたのだろう。
ちなみにポケベルで「114106」で愛してると伝えたのはまだ少し後の90年代半ば。
AKB48の時代(現在)双方向
過去を翻すかの如く現代は形容詞が少なくとも相手に表層的であれ感情を伝えることが出来る。
それが双方向性を可能にしたネットの時代である。LINEのやり取りでは言葉が解体され一文字で対話が成立する時代。
動画配信で画面上にたくさんの文字が横へ流れて消滅していく時代。
情報の発信はメディアからではなく世間からになった時代に歌詞で多くの形容詞を表現することが無意味な時代。
言葉だけではなくなりダンスも形容詞になりえる時代。愛してる、好き、かわいい、カッコいいを歌う者以外がダンスで表現が可能になり、おのずと歌い手の形容詞が少なくなったことが考えられる。
総評:おニャン子クラブとAKB48
どんな世界であれ成功するもののなかには時代に逆行し波風を立てるものに新たな時代をつくるものもあるだろう。
アイドルとは先鋭的で流行りを先取りしている存在として捉えていた。
そういうこともあるだろうが今回分析してみた結果、長く存在するアイドルは時代の風を読みその潮流に乗る。
それが一時代を築くアイドルの他ならない。
秋元康は偉大である!
おしまい。
ライブ会場でのケンカの仲裁方法 「レディー・ガガ」「矢沢永吉」「ラッパー・アナーキー」YouTubeで確認
ケンカの仲裁はアーティストによって異なる
レディー・ガガさんの場合 「愛を説く」
米人気歌手のレディー・ガガさんが、ベルギーでのコンサート中、観客に向かって身にまとっていたコスチュームを投げるとそれを観客2人が奪い合いのケンカになった。
それに「やめて」と忠告にしたけれど聞き入れずにいた観客に対して「返しなさい」とコスチュームを取り上げるんだ。
レディー・ガガさんは「ケンカを続けるならこれはあげない(コスチューム)」
「愛はこうやって学ぶの」と思いやることを説いたそう。
レディー・ガガさんがコンサートで観客同士のケンカを止めに入る YouTube
英語はわからないけど佇まいでカッコよさを感じるね!
矢沢永吉さんの場合「夢やハッピーを訴える」
1985年の武道館公演でそれは起きたよ。
多くの観客同士でケンカが勃発、それに気づいた矢沢永吉さんが自ら演奏を中断、
他の観客からは帰れコール。矢沢永吉はその状況を静観している。
そしてキャロル時代の葛藤を持ち出し
「夢っていうものと、何でもいいからウケればいい、グシャグシャになればいいというのは別だ」と話し、「コンサートっていうのは、本当にハッピーなものじゃなきゃ絶対にいけない」と観客に訴え、騒ぎを鎮めたんだ。
1985年 日本武道ライブ一時中断!#矢沢永吉 - YouTube
今現在(2022年現在)72歳の矢沢さんはこの時代まだ35歳!かっこよすぎる!
ラッパー アナーキーさんの場合「観客を蹴りピースを説く」
アナーキーさんはレディー・ガガさんのように愛を説いたり、矢沢永吉さんのようにコンサートに対する熱い思いなんて語らないよ!
ライブハウスでケンカする観客ヤンキーに向かって舞台から数発キック!
それから
「やめたケンカ?はははッ、そんなん大事やん気ぃ散るからなオレも、そうやんな?
もいい?ヤンキーに聞いてんのよ、もいいい気ぃ済んだ?怒ってんやったら後ろいってよ。大丈夫?気ぃ済んだか?Yo.Yo.Yo いいね,ケンカしない方がいいよ。」
不敵な笑みを浮かべライブ会場のボルテージをあげなお、続けるよ!
「でもピースに済まそうぜ。それがオレたちストリートのルールよ。じゃなきゃ面白くなくなるよ。
それをいちばん知ってるのがオレ! アイムア。ギャングスタ―ベイビー!」
と観客を煽り演奏が再開、そしてどっとライブ会場を沸かせるんだ。
目には目を的なハンムラビ法典的仲裁。なんか門外漢からすればヒップホップらしい解決方法だね。
アナーキー、ライブ中に喧嘩するヤンキーを蹴り飛ばす😂 - YouTube
ちなみにハンムラビ法典は「やられたらやり返せ」じゃなくて「やられた以上のことはやっちゃダメ」ってことだYo!
矢沢永吉さんはファンレターに「矢沢永吉のコンサート興味はあるけど怖いから行きたくない」と伝える場面もあるけど、一部のヒップホップって怖さもエンターテインメントの一部のような感じもしちゃうね。
ケンカの止め方は三者三様だけどみんなコンサートに対する思いは誰にも負けていないね。